『平野にまつわる作品を演奏したい』という私の想いに対し、『井村さんが自分で書けばいいのでは?』と。

『いやいや!ちゃんと作曲家に依頼したい!』と私。

『井村さんが書くのが一番良いと思う・・・』

そんなやり取りから始まった今回の作曲。当初は、本当に私が作曲を担当して良いのか自分なりに悩み、先ずはできるのか『試作』してみる事にした。あくまでも可能性があるのかを確認する為のもの。決して曲を書き始めた訳ではない。

先ずは『平野の音』を探した。区民センターの方にお願いして、平野公園・赤留比売命神社・河内音頭の石碑・図書館・大念佛寺・杭全神社と案内して戴き、色々と想いを巡らせた。そんな中、杭全神社で『御田植神事』という無形文化財があることを知った。五穀豊穣を願うこの神事は、大変興味深く、シテ(語り手)が謳う節には明確なメロディが、私には聴き取れた。「これをファンファーレにしてみたい!」と思い立って、書き始めてみた。

映像資料を視ながら耳コピ。音程とは言い難い節回しでしたが、懸命に聴音。何とか音符に落とし込む事ができた。

12月初旬にファンファーレが完成。

平野区の音風景を吹奏楽にして演奏する『第一歩』の完成により、「やれるのではないか・・・」と想いに至り、『重責』ではあるが『挑戦』したいという感情が強くなった。

その後、作曲活動は進まず、停滞していたが、4月12日に行われた『大阪・関西万博2025』の開会式の模様を、テレビで観ていた時、その中で、各国が国旗を持ってパレードする様子を観て『これだ!』と思い、直ぐに作曲活動を再開した。この作品に登場する人物等がパレードする様子。ゆったりとした行進曲風。そんな着想から序奏が完成した。

更に、その開会式の模様を視ながら『あぁ、私もあの場に居たかった・・・』という想いが沸き立った。

1970年生まれの私。前回の『大阪万博』の年に生まれた私は、多くの方から『万博生まれ!』と呼ばれる事が多くあった。そう呼ばれるだけで、大阪万博には行ってないし、まだお腹のなか。。。次、大阪で万博があれば『その音楽の分野で中心的存在になりたい!』という夢を持ち続けていた。佐渡さんが在阪の合同オーケストラで新曲を披露。自分自身がやりたいと思っていた事がテレビの中で行われていた。。。誤解の無い様に書きますが、決して『嫉妬』なんかの心情を抱いた訳ではなく、『自分は選ばれなかった・・・力がなかった』と思うだけです。この様な感情は、コロナ禍でも同様にあり、指揮台に立つ指揮者を、テレビやSNSで見聞きすると、孤独感に苛まれ、『自分はもう忘れられた存在』だなんてネガティブは発想に至ってしまいました。『2025年の万博には絶対に出演したい!』と心に決めていた自分にとって、万博の開会式は、私にとっては、強く心に突き刺さった。。。そんな哀愁が次のオーボエのソロへと繋がった。そのモチーフは、他の楽章にも登場する重要な音楽となった。開会式に居ない自分に一旦は落胆したが、『自分もこの舞台に秋に立つんだ!』と想いを前に進め、哀愁に満ちたモチーフが徐々に力強いファンファーレへと展開していった。最後は『勝利の審判』(マーラー風)により、これから覚悟を持って作曲活動をする!という自分を鼓舞する音楽となった。